ポザーダで「ポザーダ デ カステロ(Pousada Castelo de Obidos)」で。
急な階段を上ってボサーダまで。

お昼まで1時間あり、ボサーダ内のお庭で待ちました。
お庭にはベンチがあり、花が咲いてきれいに咲いていました。



高台なので、景色が見渡せました。


パンとオリーブ。好きなだけ食べられます(w)

スープ。

ケールのような野菜が入っていました。
シーフードリゾット (アホーシュ・デ・マリシュコ/Arroz de Marisco)

リゾットにはムール貝、エビ、あさり以外に、
なんと、日本の食材「カニカマ」が入っていました(w)
デザートはアイスとケーキ

ボサーダ(POUSADA)はポルトガルの国営ホテルで、
お城や修道院などの歴史的建造物を改装してホテルとして利用してるそうです。
ちなみに前回のポルトガル旅行でオビドス訪問時、
ランチはついていなかったので、村内で景色を見ながら、
持ってきた食べ物を食べました(w)

村内の石畳の坂道を上がると、お城があります。

『谷間の真珠』とも呼ばれる中世の面影を今に残すオビドスは、城壁に囲まれ丘の上にある小さな村です。城壁をくぐると、そこには花で飾られた白い壁の家々があり美しくまたかわいい村です。
オビドス訪問も2回目です。
オビドスは城壁で囲まれた村で古い建物がたくさんあり、
教会まで続くメインのディレイタ通りには、観光客向けのお土産さんなどあります。

オビドス(オービドス)の門とメインストリートにはアズレージョがあり、
今回の旅行で写真はとりませんでしたが、とても綺麗です。


日差しがとてもつよかったですが、お天気がよく、
高台からの景色がきれいに見えました。

母と一緒に、ポルトガルで有名な缶詰のお店 「コムル Comur 」へ。
(お店のサイトはこちら)

母が缶詰を見たいというので、一緒に店内へ。

缶詰はイワシなど魚の缶詰など沢山あり、
店内には日本語の缶詰紹介のパンフレットがありました。
パッケージがオシャレで、ガイドさん曰く、お土産に買って帰る人が沢山いるそうです。

母がお店で缶詰を買った後は、村内のお店を見て回りました。

通りにあるお店は白い壁の昔ながらの可愛い建物です。

↓ポルトガルのスイーツを売っているお店

↓馬車が通りを走っていました。


オビドスには城壁があります。


歩いて城壁を回ることができたのですが、母と私は村内の教会、お店を見ました。
Caldas da Rainha(カルダス・ダ・ライーニャ)の朝市へ。

カルダス・ダ・ライーニャ(Caldas da Rainha、発音:'kaɫdɐʃ dɐ ʁɐ'iɲɐ)は、ポルトガルの都市。『王妃の温泉』または『王妃の鉱泉』という意味である。広域自治体も同名のカルダス・ダ・ライーニャである。市のみで人口25,316人[1]。温泉と陶器産地として知られている。
カルダス・ダ・ライーニャは上薬をかけた陶磁器ロウサ・ダス・カルダス(louça das Caldas)の産地として知られる。19世紀終わり頃、陶磁器産業がこの地に導入され、市をポルトガルの陶磁器の中心地へ変えた。粘土質の土が豊富であることから、古代にはこの地域に土器の生産が始められていたとされる。近隣の村ボンバーラルの名は、翻訳すると良質の採泥場という意味となり、古代から製陶の伝統があったことをうかがわせる。典型的なカルダスの製陶業は20世紀初頭に大きな流行のせいで進化したが、主な種類は今も変わらず同じである。
共和国広場 - 中心部の公共の広場。果物広場という通称を持ち、毎日近隣の農家が農産品を売る市場が開かれる。広場の周りは商店や銀行などの建物が囲んでいる。
陶器がとても有名だということで、きれいな陶器がディスプレイされたお店が朝市の途中にありました。
町の中心に行くと、市場がありました。
朝市には新鮮な野菜が♪
キャベツが0.9ユーロ。(100円)

ネギやナスなど。

カリフラワー、キャベツなど野菜を売ってるお店があり、野菜を買いたくなりました。

パプリカが1キロで2ユーロ(240円)。

オリーブが1キロで 2.5ユーロ(300円)

オリーブオイル 5.1リッターが10ユーロ(1200円)。

ハーブを売ってるお店もありました。

ローズマリーです。

市場には、野菜、ドライフルーツ、お菓子などのお店があり、
新鮮なポルトガル産野菜がたくさんあり、
野菜はどれも大きく、値段もやすく、買うか、迷いました。
私の手より大きなパプリカ♪

マッシュルーム 1キロが3.5ユーロ(420円)

アーモンドが1キロで12ユーロ(1400円)

くるみが4.8ユーロ(570円)

前回チーズを買った同じお店です。


チーズ
Queijo Cabra (ケイジョ・カブラ)が1.35ユーロ(160円)、ケイジョ・フレスコ(Queijo Fresco)が0.45ユーロ(50円)


Queijo Fresco 1.0ユーロ(120円) QueijoFresco 0.35ユーロ(40円)

Queijo 4.35ユーロ(520円)

チーズが4ユーロ(480円)。

チーズの試食ができ、とても美味しかったので、↓のチーズを購入しました。

チーズ quiejo 値段は5ユーロ(600円)。
お店の人にグラム数を聞くと、600g弱とのことでした。
今回の旅行ではスマホの翻訳アプリが大活躍♪
日本語からポルトガル語へ簡単に翻訳でき、
現地の人にスマホの画面を見せるだけでした♪
連日、朝が早くてつらかったです(w)
ナザレのホテルの朝食はコロナの影響、または、シーズンオフだったためか、
あまり、お料理ははなかったです。。。
特にサラダなどの野菜は。。。
あったのは
・飲み物(コーヒー、ミルク等々)
・フルール
・ヨーグルト
・ハム・卵料理
・豆の美込み?
・パン
私はヨーグルト、フルーツ、飲み物 コーヒーで済ませました。

・ミルク?

朝食のレストランでは、またカモメが♪



今回のナザレのホテルは、高台にあり、
近くにスーパーがなく、買い物ができなくて、残念でした。
バスでホテル近くまで行きました。

ホテルは高台にあり、海岸線が見渡せました。


夕日が見えて、ラッキーでした。


ホテルまで10分歩いて、ホテルにチェックイン。
・ホテルのレストラン

・プール

部屋にはバルコニーがあり、景色もよかったです。




小さなホテルで、壁にはアズレージョが♪

チェックイン後、夕食のため、バスにのって、レストランへ。

ナザレ海岸線を通ったので、きれいな海岸線をまた、見ることができました。


バスに乗って景色を眺めながら、レストランへ。

ケーブルカーが走っていたり、昔ながらのクラシカルな雰囲気の建物があり、
ヨーロッパは古い建物も残して、素晴らしいなと思いました。



レストランは前回ナザレ訪問時と同じレストランでした(w)
夕食は
・サラダ(写真なし)
・スープ

・いわしのグリル(sardinas a la parrilla)

いわしのグリルは食べ放題のように、好きなだけ、
自分のお皿にサーブしてもらえました。
鱈同様、イワシもポルトガルではよく食べられる魚で、日本のサンマのお祭り(目黒のさんま祭)のように、
イワシの屋台が出る聖アントニオ祭り(別名イワシ祭り)があるようです。
聖アントニオ祭(Festa de Santo António)
会場はリスボン市内アルファマ地区。開催日は毎年6月12日と13日。
聖アントニオはリスボンの守護聖人であり、縁結びの聖人で、アルファマ地区の(Alfama)広場で音楽が流れ、人々が踊り、イワシの炭火焼の屋台からの煙があたりを満します。
(詳細はこちら)
レストランは私たち日本人のみで、いわしを食べる際、
レストランに常備されている日本人観光客用のポン酢がテーブルに運ばれました(w)

ナザレ
絵のように美しい海辺の村として町を売り込み、人気の観光地。大西洋に面し、長い砂浜を持ち、夏期には観光客で混雑する(ポルトガルでも良質の砂浜とされる)。一方で、ナザレは漁民によって編まれる伝統的衣装も知られる。既婚女性たちは黒衣を着込み、伝統的なスカーフで頭部を覆い、刺繍をほどこしたエプロンを多色使いのフランネルのスカートの上に重ねる。これらの装束は今も時折見られる。
町は3つの要素からなる。ア・プライアは海岸部、オ・シーティオは丘陵の頂上の旧市街、ペデルネイラはその他丘陵頂上部である。ア・プライアとオ・シーティオとはケーブルカーで行き来ができる。
海岸から標高110m地点の岩の上にあるシーティオに、最初の定住地ができた。住民は、バルバリア海賊、フランス、イギリス、オランダ各国の海賊たちからの略奪を避けるため安全な基地を作ったのである。こういった襲撃は、19世紀初頭まであった。ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会は、12世紀に騎士の命を聖母が救ったという伝説上の奇跡的とりなしを記念し建てられた。
9月8日の祝日には、ナザレの聖母を記念する宗教行事と礼拝行進、その他に闘牛と民族舞踊が行われる。
・ノッサ セニョーラ ダ ナザレ教会 (Igreja de Nossa Senhora da Nazare)

教会には黒いマリア像があります。

ナザレでは、美しい海岸線を見ることができました。


また、カモメも♪





教会以外にレストラン、お土産さん、展望台の近くにはメモリア礼拝堂がありました。

12世紀に騎士の命を聖母が救ったという奇跡に感謝して建てられたそうです。


礼拝堂内部の壁はポルトガルの伝統装飾タイル、アズレージョで覆われて、下に降りる階段があり、
階段を降りると、↓像が祀られていました。


博物館があったので、入ってみました。

・ジョアキン・マンソ博士民族誌・考古学博物館(Museu Etnográfico e Arqueológico Dr. Joaquim Manso)

ジョアキン・マンソ博士民族誌・考古学博物館(Museu Etnográfico e Arqueológico Dr. Joaquim Manso)
ナザレ博物館(Museu da Nazaré)の名でも知られるジョアキン・マンソ博士民族誌・考古学博物館は、1976年に一般向けにオープンしました。この博物館は、ジョアキン・マンソ博士の夏の別荘として使われていた20世紀前半の建物を利用しています。マンソ博士は、文筆家・ジャーナリストとして活躍した人物で、日刊紙「ディアリオ・デ・リスボン」の創始者でもあります。この家は、地元の慈善家アマデウ・ガウデンシオによって、博物館として活用するために1968年に国へ寄贈されました。
この博物館は地域に密着した博物館であり、その展示品は地域一帯の歴史とナザレの人々の文化的独自性を伝える内容になっています。最近では、展示テーマの範囲が広げられて海洋民族誌も含まれるようになり、地元の漁業の伝統に光をあてて、漁業に使われるいろいろな種類の伝統的な船や技法についての展示を行っています。
(詳細はこちら)
釣り船?

ナザレの民族衣装

絵画

写真

船の模型


漁民の村ナザレの風俗や歴史に関する展示品がありました。
2回目のナザレ訪問でも、前回同様、カモメが見れ、
きれいな海岸を見ることができてよかったです。
昼食は、
・スープ。

・バカリャウ・ア・ブラース(Bacalhau à Brás)

タラはポルトガルでは国民的な食べ物で、
バカラオ、タマネギ、ジャガイモの細切りを卵でとじたもので定番ポルトガル料理のようです。
バカリャウには、ジャガイモ、お米が入って、ハーブ(コリアンダー?)の風味がしました。
デザートはキウイフルーツがでました。
その後、バスに乗って、バターリャ修道院(Monastery of Batalha)へ。

修道院の入口は、アーチ・ヴォールトの形をとっており、
そのヴォールトの中には、78の聖像が飾られているそうです。

バターリャ修道院は、ポルトガルにおいて、最初にステンドグラスを備えた教会建築で
内部はステンドグラスから射し込まれてくる光がきれいでした。
バターリャ修道院は、ドミニコ修道会の修道院であり、ポルトガル・レイリア地方の都市であるバターリャにある。ポルトガルにおける後期ゴシック建築の傑作であり、マヌエル様式も用いられている。バターリャ修道院は、切妻屋根、尖塔と小尖塔、控え壁によって多くの人々を驚嘆させる。
バターリャ修道院は、ポルトガルの独立を象徴する建築物であり、1983年、ユネスコの世界遺産に登録された

複数の支柱と装飾されたキーストーンで構成されたリブ・ヴォールトの天井。

リブ・ヴォールト(Rib vault)は、横断アーチとその対角線のアーチをリブとし、その隙間をセルによって覆うヴォールト。 交差ヴォールトの稜線をリブで補強した形状とも言える。 天井部分の軽量化が可能で、後期ロマネスク建築において使用が認められるが、特にゴシック建築において決定的な空間の特徴の1つとなった。

身廊。正面にはステンドグラスがあります。



未完の礼拝堂、王の回廊があり、修道院内を見終えた後、
修道院近くのお土産さんに母と一緒に行きました。

お土産さんで母がバッグを買い、集合時間まで時間があったので、
ベンチに座ってると、修道院近くに、ヤシの木がありました。


夏と思えるほど、暑い日でした。
バスに乗って、コインブラ市内へ。
コインブラ市内です。

水瓶を持った女性の青銅の銅像がありました。

>
・チョコレート屋さん「Chocolataria Equador「ショコラタリア エクアドル」」


ポルトガルのチョコレートブランド「ショコラタリア エクアドルは、
ポルトガルはポルトに本店があるチョコレートショップです。
(詳細はこちら)
コインブラ市内は古い建物が多く、窓にはお花が飾られた建物がありました。




ポルタジェン広場の近くのサンタ・クルス修道院(Mosteiro de Santa Cruz)。

1131年にアフォンソ・エンリケスによって建てられ、16世紀にマヌエル1世によって改築された建物で、
教会の内はアズレージョがあるそうです。
(詳細はこちら)
通りにはスイーツ、ポルトガルのお酒、本などお店がたくさんありました。




・ポルトガルのスイーツのお店





本屋さん

ポルトガルのワインなど売ってるお店。

ワイン「ヴィーニョ・ヴェルデ」が2.95ユーロ(約350円)

その後、バスに乗って昼食のレストランへ。
コインブラ大学 (ポルトガル語 : Universidade de Coimbra)は、13世紀に設立された世界最古の大学のひとつである。ポルトガル屈指の名門国立大学とされる。大学が街の中心とみなされ、黒いマントを着たコインブラ大学の学生が行き交う
ヨーロッパ屈指の伝統を持つ名門コインブラ大学の建造物群を主な対象とするUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。ポルトガルの古都コインブラは、特に16世紀以降、大学と密接に結びついて発展してきた都市であり、そのアルタ地区とソフィア地区には大学の歴史を刻んできた様々な建物が残る。この物件は、ポルトガル一国にとどまらず、ポルトガル海上帝国時代に植民地の大学群に与えた影響の大きさなども評価されて、2013年の第37回世界遺産委員会で登録された
(詳細はこちら)
コインブラ大学と図書館の観光客は私たちのツアーのみで、
ジョアン5世図書館では、古い書籍をじっくりと見ることができました。
ジョアン5世図書館は世界一美しいとも評される図書館で、
黄金に輝く豪華な書棚があり、蔵書は歴史的にも重要なものも数多く、
16世紀から18世紀の書物が30万冊もあるとのことです。
図書館内の内装は、アジアンテイストの模様で、
当時、中国から影響を受けて、アジアンテイストの内装になったとのことでした。
残念ながら、写真を撮ることはできませんでした。

コインブラ大学の壁の装飾

天井にも装飾が。


机がありました。


コインブラ大学の観光後、バスに乗って、昼食のレストランへ。
・飲み物(コーヒー、ジュース、ミネラルウォーターなど)
・野菜(サラダ:トマト、きゅうりなど)
・マッシュルームのソテー
・チーズ、ヨーグルトの乳製品
・卵料理
・ベーコン、ハム、ソーセージ
・パン、シリアル、
・ケーキ
が大体のホテルで朝食にでました。
ホテルによっては、シリアルに入れるナッツ(アーモンド、くるみ)もあり、
スペインよりは朝食のメニューは多いなと個人的に思いました。
4日目の朝食は↓です。
チーズ

ポルトガルのチーズ以外にブリー(Queijo Brie)がありました。

ハム

ベーコン・ソーセージ


スペインのオムレツのトルティージャのようなもの

ベイクドポテト(?)

食べてないので不明です。
サラダ


胡桃




ホテル到着後、日本人ガイド、ツアーの方と集合して、
スーパー「PigoDoce」に行きました。
(詳細はこちら)
チーズ売り場です。

カマンベール、ブルーチーズ、チェダー、モッツアレラ、ナチュラルチーズとたくさんあります。
もちろん、ポルトガルのチーズQueijo Fresco「ケイジョ・フレシュコ」、リケイジャオン(Requeijão)などもありました。
(ポルトガルチーズの詳細はこちら)
・ Queijo Serra da Estrela ケイジョ・セーラ・ダ・エストレーラ

セーラ・ダ・エストレーラ(ポルトガル語: Queijo Serra da Estrela[1][5])はポルトガルで生産される、羊乳を原料としたチーズ。名称は山脈の名(エストレーラ山脈)に由来する[2][6]。ポルトガルチーズの代表格として扱われる[2][6]。セミハードタイプに分類されるが、中身はクリーミーで柔らかい[2]。ソフトタイプとして紹介されるケースもある[7]。ポルトガル最古のチーズで、ローマ時代に起源があるといわれる[6]。
原料乳は現地のヒツジ(セーラ種)のものを使う[2][7]。凝固剤にはアーティチョークのおしべを用い、熟成にあたっては周囲を布で巻いて固定する[2]。表皮は硬いが中身は柔らかいので一皮むいてスプーンですくい、基本的にパンやクラッカーと合わせる[4]。飲み物であればポートワインと相性がよい[2]。味は苦みが若干あり[4]、バター風味のコクも感じられる[2]。表皮は捨てずにあとでチョリソやジャガイモなどを入れる器代わりとし、まるごとオーブンで焼いてから食すという調理法もある[4]。
↓ポルトガルのチーズが2.99ユーロ(420円)。

ポルトガルのチーズは安く、おいしいチーズがいっぱいあります。
(詳細はこちら)

魚売り場にはサーモンなど。

干し鱈、バカリャウも!

かなりの大きさで、鱈って、大きな魚であることを初めて知りました(w)
購入したのは
・ワイン
・Queijo Fresco「ケイジョ・フレシュコ」 200gで1ユーロ前後です。(150円ほど)
・Brie 200g 1..2ユーロ

安いです!!!
前回のポルトガル旅行でチーズを安く買えたので、
今回もチーズを買おうと思い、チーズを購入しました。
お店の中の商品をいろいろと見ると、日本よりも物価が安く驚きました。
↓のような古い建物があり、歴史を感じる場所でした。



ギマランイス(Guimarães)
ポルトガル北西部のブラガ県にある都市。ポルトガル王国初代国王アフォンソ1世(アフォンソ・エンリケス)が当地で誕生していることから、ポルトガル発祥の地、ポルトガル王国の発祥地
ポルトガル王国の建国後に建てられた歴史的建築物が並ぶ。[いつ?]、『エスプレッソ』紙による調査で、ギマランイスはポルトガルで2番目に住みよい環境の町であると評価された。2001年、歴史的文化財を残すギマランイス旧市街は「ギマランイスの歴史地区」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
(詳細はこちら)
ギマランイス城へ行きました。
ギマランイス城(英語版)
第3代ポルトゥカーレ伯ヘルメネギルド・ゴンサレス(英語版)の寡婦として政務を引き継いでいた夫人ムマドナ・ディアス(英語版)は、950年と951年に受けた天啓に従ってこの地に修道院を設立したが、ヴァイキングの襲撃から町と施設を護るべく、959年にギマランイス城を築いた。1109年にはポルトガルに栄光をもたらすアフォンソ・エンリケス(アフォンソ1世)がこの城で生まれている。28mの高さの塔を持つ。
お城は959年、ヴァイキングから街を守るために造られた重厚なロマネスク様式の城は、城壁と高さ28mの中央の塔をはじめ7つの塔が残されています。
お城には入場せず、母と一緒にお城の周辺を散策。
お城の前にはいくつか、お土産屋さんがありました。

その後、歩いてギマランイス歴史地区へ。
ポルトガル王国の建国後に建てられた歴史的建築物が残って、
世界遺産になっているということで、↓のような古い建物が残っていました。


オリベイラ広場に行くと、2世紀に建てられたという「Igreja de Nossa Senhora da Oliveira(ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会:オリーブの木聖母教会)」と教会前のアーチ「Padrao do Salado (パドラオン・ド・サラド)」がありました。
教会があったので、一人で入ってみました。
・「Igreja de Nossa Senhora da Oliveira(ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会

12世紀に建てられたノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会
重々しいロマネスク様式と繊細なゴシック様式がで 拡張が度々行われており、16世紀に現在の姿となった。 教会の名前は、ポルトガル語で「オリーブの木の聖母教会」という意味。
対イスラム王朝との戦いの戦勝記念として1342年に教会前にアーチを建設したのですが、その完成と同時にオリーブが芽吹いたことから名づけられた。
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会のボタフメイロ?

・パイプオルガン

↓木のドアにはホタテ貝の装飾が、

ちなみに、ギマランイス歴史地区を歩いてると、道路にも巡礼のためにホタテ貝の標識がありました。
(詳細はこちら)
オリベイラ広場に教会前のアーチ「Padrao do Salado (パドラオン・ド・サラド)」、オリーブの木があり、
オリーブの種を拾っている人がたくさんいました。
このオリーブの木は、ムーア軍との戦いに勝利したことを記念して
14世紀に建てられたというアーチの完成と同時に、教会前に植えられて、
オリーブの木に葉が芽吹きはじめたそうです。

サンティアゴ広場には、歴史を感じさせる民家が立ち並び、
ベランダに色とりどりの花が飾られていたり、壁や窓枠がカラフルにペイントされた民家がありました。
お天気がよく、過ごしやすい午後だったので、
ビールを飲みながら、景色を眺めてる観光客がいました(w)
サンフランシスコ教会近くにはポルトの路面電車の底流書がありました。

サンフランシスコ教会から歩いて行く途中にアズレージョに覆われた教会
「サントイルデフォンソ教会」(Igreja Paroquial de Santo Ildefonso)が
がありました。

ポルト|サント・イルデフォンソ教会(Igreja Paroquial de Santo Ildefonso)
「サント・イルデフォンソ教会(Igreja Paroquial de Santo Ildefonso)」は、トレドの大司教「聖イルデフォンソ(Ildefonso de Toledo)」に捧げられた教会。バターリャ広場に面して立つ18世紀に建てられた、正面部分が多くのアズレージョで飾られたバロック様式で夜はライトアップされる。
ちなみに、ドン・ルイス一世橋に行く途中も、↓のようにポルトガルらしい建物がありました♪

ポルト歴史地区の後、バスに乗って、「paparico」というレストランへ。

写真はとりませんでしたが、レストランの内装はとても綺麗でしたが、
やはり、コロナ影響で、お客さんはあまりいませんでした。
最初にスターターで、バカリャウのコロッケがでました。

バカリャウは干し鱈のコロッケで、ポルトガルではとてもポピュラーな料理のようです。
バカラオ(西: Bacalao、葡: Bacalhau バカリャウ、伊: Baccalà バッカラ)
タラ(鱈)の塩漬けの干物、またはそれを用いた料理を指す。南ヨーロッパ諸国、スペインやポルトガルの植民地であった中南米諸国、そしてタラの捕獲地である北欧諸国を中心に食べられている。
その後、豚肉のステーキ・ポテトチップス、サラダ、ピラフがでました。

その豚肉のステーキはビーフェ(bife)とよばれるそうです。

豚肉のステーキはとても柔らかくて、美味しかったです。
↓はサラダです。

残念ながら、ドレッシングがかかっていなく。。
最後に、カステラがでました。

カステラはパン・デ・ロー(Pão-de-ló)と呼ばれているそうです。
エアメールを出すため、現地ガイドさんに最寄りのポストの場所を聞きました。
駅の近くにポストがあるとのことで、歩いてポストへ♪
↓ポルトガルのポスト。

他の場所でポストを見ましたが、↑のような銅像と一緒のポストを見たのは初めてです。
その後、ドン・ルイス一世橋に歩いていき、フリータイムになりました。
ポルトガルの建物はカラフルで↓のように可愛い装飾の建物が沢山ありました。

橋の周辺を周辺を散策してると、
エルコルテの電車(?)を発見♪

EL CORTE INGLES(エル・コルテ・イングレス)はスペイン・ポルトガルで展開する唯一のデパートです。
ポルトガルにもあるようです。
フリータイム後は歩いて、サンフランシスコ教会へ。
(詳細はこちら))

サン・フランシスコ教会 (Igreja de São Francisco)は、ポルトガル・ポルトにある重要なゴシック様式の教会。バロック様式の内部装飾で知られている。教会は市内の歴史地区にあり、ユネスコの世界遺産に登録されている。
壁や柱が金で埋め尽くされたゴージャスな内装で、
教会内に入るのは入場料がいるため、今回は入場しませんでした。。。
2回目のポルトガル旅行となりますが、金で装飾されたポルトガルの教会が多かったです。

サン・ベント駅
サンベント駅は、ポルト地区のポルト市にあるセドフェイタ、サントイルデフォンソ、セ、ミラガイア、サンニコラウエヴィトーリアの民教区にある20世紀の鉄道ターミナルです。
サンベントの英語訳はサンベネディクトです。駅はポルトの歴史地区にあり、ユネスコの世界遺産に登録されており、ポルトガルの国定記念物に指定されています
駅構内を彩るおよそ2万枚のアズレージョがあるそうで、「世界で最も美しい駅」と呼ばれてるそうです。
(詳細はこちら)




アズレージョとは、ポルトガル伝統の装飾タイルのことです。
ポルトガル建築の外壁や内壁に用いられるアズレージョは、装飾目的であると同時に、室温管理の機能も果たしている

ジョルジュ・コラソによって1930年に制作されたもので、
ジョアン1世のポルト入城やセウタ攻略など、ポルトガルの歴史を物語るシーンが描かれているそうです。

構内の天井から壁にアズレージョがありました。
行ったのは
・ポルト歴史地区
・サンベント駅
・ドン・ルイス一世橋
・サンフランシスコ教会
です。
バスでポルト歴史地区まで行き、バスを下車し、
商店街を通って、歴史地区へ。

ポルトのカフェがありました。

メニューを見ると、コーヒーが1ユーロ弱で、安かったです。
ポルトガルはコーヒーがおいしく、安いそうです。
その後、ポルトの有名な本屋さんへ。
入るために、入場料がいるそうです。
・「世界一美しい本屋」レロ書店((Livraria Lello))

『ハリー・ポッター』シリーズ作者 J.K.ローリング氏が何度も訪れたことで有名で、
店内はとても美しいそうです。
詳細はこちら(入場料は5ユーロ)
今回、店内に入れなく、残念でした。
フラミンゴのディスプライがありました。

昔からの古い建物があり、歴史を感じました。

ポルト歴史地区は世界遺産になっています。

世界遺産「ポルト歴史地区」、ポルトお勧め観光スポット ポルトガル第二の都市ポルト(Porto)は「ポルト歴史地区」として世界遺産にも登録されています。
聖グレゴリウス聖堂、大聖堂、ボルサ宮、聖フランシスコ聖堂、サン・ベント駅など世界遺産に含まれます。
歴史地区にはカラフルな建物がありました。

ポルトガルは缶詰が有名で、ポルトガルの有名な缶詰メーカーのお店「Comur」も。

缶詰はいわし、さば、ツナなど沢山あるそうです。(缶詰1個:500円から)

その後、サンベント駅へ歩いて向かいました。



ポルトに到着して、バスを下車し、橋を眺めて、少し自由行動となりました。
ポルト(ポルトガル語: Porto IPA:[ˈpoɾtu])、またはオポルト(Oporto)
ポルトガル北部の港湾都市。首都リスボンに次ぐポルトガル第二の都市。
同国屈指の世界都市であり、ポルト都市圏では、人口は約160万人を数える[1]
ドン・ルイス1世橋です。

私は前回、ドン・ルイス1世橋を渡ったので、母と橋を眺めて、
ドン・ルイス1世橋周辺をぶらぶら歩きました。
ドン・ルイス1世橋(ポルトガル語:Ponte Dom Luís I)
ポルトガルのポルトにある道路・鉄道併用橋で、ドウロ川に架かっている。世界遺産「ポルト歴史地区」に含まれ、2016年からは「ポルト歴史地区、ルイス1世橋およびセラ・ド・ピラール修道院」として、登録名にも明記された。
ポルトの中心部とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区を結んでいる。
ドン・ルイス1世橋は幅8mの2階建て構造になっている。上層の長さは395mで、下層の長さは174mである。現在上層は歩行者とメトロ用に、下層は自動車と歩行者用になっている。
レストランまで30分歩いて行ったので、ポルトガルの街並み、建築を眺めることができました。

ポルトガルの建物はかわいい感じがしますね。

今回の旅行では↑の建物以外に、ポルトガルらしい建築を見ることができたので、
また、UPしたいと思います。。。
ポルトガルのアズレージョが町中の建物で見ることができました。

アズレージョ (ポルトガル語:azulejo、スペイン語ではアスレホ)
ポルトガル・スペインで生産される、典型的な上薬をかけて焼かれたタイル。途絶えることなしに5世紀もの間生産され続け、ポルトガル文化の典型的な要素となった。
ポルトガルへ行けばどこでも、アズレージョは教会、宮殿、一般の家の内や外、鉄道駅や地下鉄駅でさえも見られる。アズレージョは、壁や床、天井でさえも使われるように、ポルトガル建築の多くで主要な要素となっている。装飾用に使用されるのみでなく、一般の家の室温管理のような特別な機能能力を持つ
暑い季節でも、アズレージョがあるだけで、温度が下がって
涼しく感じるそうです。
歩いてレストランへ。

レストランの前にドウロ川があり、夜景がきれいでした。

20分ほど歩いて夕食のレストラン「porto cruz」に到着しました。
店内はコロナ影響で、私たちツアー客以外は誰もいませんでした。。。
飲み物は今回、お客さんがいないせいか、
ミネラルウォーター、ワイン一本サービスがあり、ラッキーでした。
最初はトマトのサラダ。

チキン料理。

チキン料理はお肉が柔らかくて、美味しく、ワインが進みました♪
最後にフルーツがでました。

レストランでの食事後は夜景を見ながら歩いてバスに乗り、ホテルへ向かいました♪
